院長 橘樹 秀春(たちばな ひではる)
タチバナ歯科医院勤務私の生い立ちと、
三代目院長としての覚悟と決意
タチバナ歯科医院は、1939年開業ですので、既に76年以上経っています。私は、祖父、父と続く三代目のタチバナ歯科医院の院長となりました。
そんな歯科医師一家の長男として、1971年に生を受けました。浅草生まれ・浅草育ち、自分では生粋の江戸っ子だと思っていますし(笑)、浅草という土地を愛しています。
そんな歯医者が身近な存在でしたが、実は、歯科医師になろうと決断したのは、高校生の時です。
しかし、今思うと、いつも沢山の患者さんへ真剣に向き合っている祖父と父の姿を見て、ずっと憧れていたのだと思います。ですので、私は幼い頃からの夢の職業に就くことができたのです。本当に幸せなことですし、歯科医師という職は天職だと思っています。
ここでは、私をより知っていただくために、私の生い立ちと、私のタチバナ歯科院長としての覚悟・決意をお伝えしたいと思います。
私の幼少期と、人生を変えてくれた水泳との出会い
幼少期は、父は仕事で忙しく、あまり遊んでもらえなかった記憶があります。その代わり母が、私をいろいろなところへ連れて行ってくれました。
私は電車が大好きだったので、南千住の操車場に連れて行ってもらったり、上野の国立科学博物館に恐竜の骨格を見に行ったりしました。
逆にお化けや鬼などは怖くて大嫌いで、花やしきのお化け屋敷や浅草寺宝蔵門の阿吽像は視界に入らないように避けてしまうような、ちょっと臆病な少年でもありました。
元気に育っている中で、私の人生を変えた出来事があります。それが、水泳との出会いです。幼稚園年中の時に習い始め、大学までずっと続けることとなりました。
この水泳での経験、そして挫折が、今の私の人格や、院長としての想いにまで影響を及ぼしているのですです・・・・
夢中になった水泳で、努力することの喜びを知る
私は水泳に、とことん没頭しました。毎日毎日、ひたすら泳いでいました。
朝、学校へ行く前に練習して、さらに夕方も練習という1日2回練習していた時期もありました。しかも、週6日の練習です。
しかし、ツライと思ったことはなく、練習するとその分記録が伸びていたので、とてもやりがいがあって楽しかったのです。
小学校の終わり頃から、努力の結果が実り、水泳でいい記録が出るようになっていました。都大会では上位入賞、中学3年生のときには全国大会にも出場するようになっていました。
しかし少しずつ、慢心が芽生えていることに、当時は全く気付いていませんでした・・・
大好きな水泳での挫折、苦悩
水泳のスポーツ推薦で入学した高校では、思うように成績が伸びなくなってしまいました。
当然、焦りました。練習も必死にしました。
しかし、伸びないのです。
大好きなことで、結果が出ない。
得意だと思っていたことで、人に負ける。
これは、本当に辛いことでした。この時の悔しさは、今でも残っています。
しかし、今ではこの経験にも感謝しています。水泳での夢は敗れたけど、歯科医師としての夢は絶対に叶えるぞ!という強い活力を与えてくれているからです。
ただ、当時はそんなことにはまだ気が付きません・・・。進路を選ぶ時期になってしまいました。
自分自身を見つめ、決断した進路
実は、3年生になり将来何になりたいか考えても、水泳しかやってこなかったので水泳のコーチくらいしか思い浮かばない状態でした。
しかし、進路を考えるにあたって、初めて自分自身見つめなおしました。
「自分が人に役に立てることって、なんだろう?」
「水泳と同じか、それ以上に情熱を傾けられる仕事ってなんだろう?」
この時は自分でも意外だったのですが、歯科医師という結論に至ったのです。幼いころの憧れを思い出したのです。
そこから、水泳に使っていたパワーの全てを勉強に傾けました。そして、水泳ばかりしていたにも関わらず、運良く現役で昭和大学歯学部へ入学することができたのです。
大学時代で歯科医療にとって大切な、チームワークを学ぶ
大学に入学してからも、自分は勉強ができないと思っていたので、必死に勉強しました。おかげで留年をすることもなく、無事に国家試験も受かることができ、歯科医師免許を取得出来ました。
大学生で大きかった出来事は、アイスホッケー部に入りました。大学生になってから新しいスポーツを始めたこの経験はとても新鮮で、チャレンンジや上達する楽しさ、チームワークなど、貴重な経験となりました。
歯科医療はチームワークが非常に重要です。この経験が、まさにいまの診療や医院づくりにも活きていると感じています。
口腔外科の道を探求、「食=命」であると実感する
大学卒業後は、より高い価値が提供できる歯科医師になりたいと思い、大学に残って口腔外科に進みました。
口腔外科でも、水泳に注いでいたパワーと情熱は失いません。
毎日朝から夜遅くまで診療に明け暮れて、口腔ガンなどの腫瘍や口腔外傷(歯の破折やアゴの骨折)、親知らずの抜歯など、様々な手術や治療を経験させてもらいました。
中でも口腔ガンの治療で、医療の深く重い命題に向き合うことができたのは貴重な経験でした。手術が成功して命を取り留めても、口から食べられなくなったり、食べるために長期のリハビリが必要になるケースがほとんどです。
食べることは、直接「命」に関わっていることを強く強く認識し、今の患者さんに向けたメッセージにもこの想いが込められています。
米国ペンシルベニア大学へ留学、世界の歯科医療を学ぶ
さらに、口腔外科を探求しようと考え、米国ペンシルベニア大学に留学をしました。
ここでは、口腔外科の知識や臨床経験だけでなく、世界の歯科医療を学ぶ経験ができたことが、私にとって大きな財産となりました。
世界では、インプラントへの考え方も、予防への考え方も、当時も今も日本よりも進んでいる分野が多いのです。
その世界水準の技術、知識に触れることが、私が今、患者様に提供したい歯科医療の基礎を形成することにもなったのです。
日本に戻り、継承、そして理想の歯科医院づくりへ・・・
米国から帰国後は、大学に2年、せんぽ東京高輪病院歯科口腔外科に5年在籍し、口腔外科医として、豊富な臨床経験を積むことができました。その後、実家の歯科医院に戻り、継承することになったのです。
そして2015年、70年以上続くタチバナ歯科医院ですが、時代に合わせた進化をし、さらによい治療を提供するために、1Fに移転・リニューアルオープンをしました。
私は、この大好きな浅草という地で、歯科医師として自分が学び、経験してきた全てを使って皆様に貢献したいと思っています。
口腔外科医としては、インプラントや親知らず治療など専門分野で貢献する。そして、世界では当たり前になっている予防歯科を実践し、虫歯から皆様を守る。
その結果、皆様がいつまでも豊かな食生活を楽しみ、笑顔でいっぱいの人生を歩んでいただきたいのです。
そして、この浅草を、どんどん明るい町にする一助となりたいのです。そんな町で、私の4人の子供にも元気に育って欲しいと思っています。
この夢へ向かって、水泳に傾けていた以上の情熱を持って、日々診療を行っています。
皆様の健康を全力で、そして情熱的にお守りします。ともに、健康な食生活、健康な人生を実現していきましょう!